今日は蒸し暑かったです。

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▲ああ暑い暑い。

ツクツクボーシが鳴いているのに。

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▲アサガオ繚乱。

ツクツクボーシも鳴いているんですけどね。

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▲日課のふれあい。

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▲これでよし、と。

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▲さあ、

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▲帰ろう。

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▲現金やな、ばあさんは。

忙しいんですよ、いろいろと。


ベトナムで終戦を迎え、その後も現地に残った旧日本軍の兵士、「残留日本兵」の子どもたちが来月、父親の祖国を一目見ようと、来日することになりました。
来日するのは、終戦をベトナムで迎え、その後も現地に残ってフランスとの独立戦争に加わるなどした「残留日本兵」の子どもたち13人です。

「残留日本兵」の多くは現地の女性と結婚し家庭を築きましたが、1950年代に入り、ベトナムと中国共産党との関係が深まる中、政府によって半ば強制的に日本に帰国させられ、多くの家族が生き別れになりました。

ベトナムに残った妻や子どもたちは経済的に苦しく、周囲から差別を受けるなど厳しい生活を送ってきました。

こうした事実は戦後、ほとんど知られていませんでしたが、ことし3月、天皇皇后両陛下との面会が実現したことで広く知られるようになりました。

ベトナムの元残留日本兵の事実を発掘し、元日本兵家族と天皇、皇后との面会実現に尽力したのが小松みゆきさん(69)です。
なお、日本人残留兵にはベトミン(共産主義を奉じる独立運動左派)としてフランスと戦った後、ベトミンを離脱してベトナム戦争に参加、その終結後まで残留した人がいます。
その人たちの家族も、来日されるのでしょうか。


共産党が指導する現在のベトナムでは、ベトミンに加わった日本人は新日本人と呼ばれ、その貢献は公式に称えられている。一方で、右派勢力に合流した大川塾生のような日本人にはその種の名誉に与る機会はない。さらにいえば、戦前・戦中に水面下で独立運動に関わった大川塾生らの働きは、容易に日の目を見ないだろう。当時の日本は「ファシスト日本」と呼ばれ、否定的な文脈に置かれているのである。
だが「ベトナム」という言葉が「独立運動の合言葉」として禁句であり、それを口にしただけで弾圧されてしまうフランス支配の時代にあって、彼ら大川塾生が日本でクォン・デを知り、派遣後は実際に独立運動支援に関与したことの意味は非常に重い。
(玉居子精宏「大川周明 アジア独立の夢」)

戦前の日本には、ベトナム皇族やインドの独立革命家が来ていて、祖国独立運動を展開していました。
そのあたりの歴史が、これからもっと知られるようになるんじゃないかと思います。
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