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▲雨のおくション(屋外しょんべん)。

最高気温27℃で、涼しい1日でした。
それはいいのですが、台風の前なので頭痛がします。
だりー。
デカイ台風だそうで、頭痛もデカイです。
しかもアスピリンを切らしていて、死にそうになりました。
死にそうになりつつも、新鮮なシシ肉をいただいたので、シシ肉のマーボー豆腐、シシ肉の焼肉、シシ肉と野菜の煮物と、シシ肉を堪能しました。
鯨肉のようで、しかも鯨肉よりも柔らかくておいしいんですよね、シシ肉。
カネばかりかかる捕鯨なんぞもうやめて、畑を荒らすイノシシどもを肉にしてフツーに流通させれば一石二鳥だと思います。

さて、昨13日にはもんじゅのナトリウム漏れ事故の調査担当であった旧動燃(現原子力研究開発機構)の西村成生さんの遺品返還を求める裁判が東京高裁であったのですが、残念ながら控訴棄却されました。
原告は西村成生さんの妻・トシ子さん、被告は警視庁と東京都です。

※動燃西村さん事件
動燃総務部次長だった西村成生氏(当時49)は、高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故に関する内部調査に当たっていた1996年1月13日、宿泊先のホテルの非常階段の下で変死体として発見された。警察は「飛び降り自殺」と断定。

判決では、西村さんの死に事件性がないと判断した警察は、捜査のためにホテル室内の物品を押収、保管していないとし、請求を棄却しました。(2017年9月13日付赤旗)

事件性がないなら、遺族に遺品は返すべきじゃないですか。
「保管していない」って、廃棄したということでしょう。
事件性があってもなくてもアウトです。
なお、遺品には衣服、手帳、そしてホテルで受けた動燃からのファックスも含まれます。
西村成生さんは1996年1月13日未明、ホテルの部屋で動燃本社から5枚のファクスを受け取った直後、3通の遺書を書いて自殺した――とされていますが、そのファックスは行方不明です。

旧動燃をめぐるダメな主なできごと
1967年10月 原子燃料公社が改組し、動力炉・核燃料開発事業団が発足
1977年4月 茨城県大洗町で高速増殖実験炉「常陽」が初臨界
   11月 茨城県東海村の再処理工場で初の国産プルトニウムを抽出
1978年3月 福井県敦賀市の新型転換原型炉「ふげん」が初臨界
1981年1月 再処理工場が本格的に運転開始
1993年1月 フランスからプルトニウム輸送船「あかつき丸」が原電東海港に到着
1994年4月 敦賀市の高速増殖原型炉「もんじゅ」が初臨界
1995年12月 「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生
1996年1月 「もんじゅ」事故のビデオ隠し問題を調査していた西村成生総務部次長が死亡
1997年3月 再処理工場で火災・爆発事故。後に、事故報告書に虚偽があったことが判明
   4月 放射性物質漏れ事故の通報遅れで、国が「ふげん」に運転停止命令
   7月 「もんじゅ」事故の虚偽報告問題で、動燃と職員2人が略式起訴される
   8月 東海事業所の地下貯蔵庫で放射性廃棄物のずさんな管理が発覚
   9月 国が「もんじゅ」に1年間の運転停止命令
   12月 再処理工場の虚偽報告事件で、動燃と職員2人が略式起訴される
1998年10月 動燃が改組し、核燃料サイクル開発機構が発足
2005年10月 日本原子力研究所と統合され、日本原子力研究開発機構となる
2010年5月 14年半ぶりに試験運転再開
   8月 炉内に中継装置を落下させる事故を起こし再び運転停止
2012年11月 約1万点の機器の点検漏れを原子力規制委員会に報告
2015年11月 規制委が運営主体を代えるように勧告
2016年9月 政府が廃炉を含む抜本的見直しを決定
2016年12月21日 廃炉正式決定

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